例年ですとお盆で多くの人が帰省し、久しぶりに家族が集う頃ですね。
皆が集まって食べる食事も楽しいものです。
その食事ですが最近思うことがあります。
食事は有難く、パワーを持っているなということです。
私はシングルファーザーなので、子ども(24歳と20歳ですが)達に毎日食事を作っています。お姉ちゃんは栄養士なのに作ってくれず私が作ります(お父さんのボケ防止と思っているのでしょうか?)
2人とも成人したので、結構生意気なことも言いますし、自分の世界に浸って、弟はいつもスマホゲームに夢中です。
食事を作っている時も自分たちの部屋にいて好き勝手にしています。
でも、「ご飯できたよー」と私が声をかけると、しばらくすると必ずゴソゴソ集まってきます。 そして、美味しくできた時は、「これ美味しいねー」と言ってくれる。その時は3人の中に共通の感情が生まれ、しばらく共感の輪が出来ます。
これってすごいことだなー、と思うんです。
食事の前に、些細なことで、コノヤロー、と思っていても、そんなことは美味しものの前では消え去ってしまいます。共通のものに共感したら、そっちが勝ってしまうんですね。
これが毎日積み重なっていくのですから、食事を作り続けた人が受ける食べる人からの共感指数や信頼度は半端じゃないなと思うんです。基本欲求の一つを満たすという行為はそれだけ大きいのでしょうね。
たまたま我が家は私が作っていますが、世の中の多くはお母さんが食事を作っておられると思います。
そりゃー子どもはお母さんを好きになるわなー、と思うのです。
お母さん方はそれを知っているので、その座を渡そうとされないのかと思ってしまうほどです。
確かにお仕事もしながら、帰宅してご飯を作るのはたいへんですよね。 でも美味しーという言葉の魔力は絶大ですね。
やっぱりお父さん、どんなに頑張ってもお母さんには勝てないですよ。
そんなお母さん方には感謝の一言です。
お父さん方、お母さんに感謝することが我々にできる最大の家族サービスと思われませんか。
多分お盆を迎えご先祖の皆さんもそう思われているような気がしました。
「なむーお仏壇の長谷川」あ、これ関西地区のTVコマーシャルだけでしたっけ?
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