校長先生とビール工場、何ともそぐわない組み合わせだ。
よっぽど酒好きな先生なのかな、というぐらいしか思いつかない。
実は、小学校、中学校の校長先生だった人が、定年後、ビール工場を作ってビールづくりをセカンドキャリアにしたというのだ。
面白そうなので話を聞きに行ってみた。
ビール工場といっても、息子さんが経営している洋風居酒屋の座敷部分を潰して、そこのスペースでビールを作っている。面積にすれば、たたみ十畳分ぐらいで、所せまくビールの発酵器が置いてある。
工場は私の自宅から近いところにあります。息子が小学校、中学校を卒業した後に校長として赴任してこられたらしく、お名前だけは存じ上げていました。
「塚越さん、どうしてビールを作ろうと思われたのですか?」
「退職後は美術館の仕事を紹介されたのですが、週4日勤務で高待遇でした。しかしこれでいいのかと思ったのです。ずっと教え子たちに、失敗を恐れず挑戦しろ、何らかの分野で名を成す人間になれと言い続けてきました。」
塚越さんは、このままのんびり第二の人生を送っていいのかと疑問を持ち始めたらしいです。
世のため人のために、まだ出来る事があるのでないか、定年を迎えた自分にも、まだ挑戦すべきことがあるのでないか、と思われ試行錯誤されます。
ある時友人と醸造体験ツアーに参加した時、自分が作ったビールを仲間に振舞ったところ、思いのほか好評だった。これは面白いのでないかと栃木県内のブルワリーに修行に行くことを決意、通い始めることになったのです。
凄い行動力ですね!
実際に事業をスタートする際、最低の生産量と価格のおり合いがつかなかったり、諸々の経費がかなりかかることがわかり難航する。
しかし、ボランティアで助けてくれる人や、教え子が自分の得意分野で力を貸してくれたりして何とかできているということ。
塚越さんは、実は教師はもともとやりたくなかった。教師になったのは学生時代の実習先で生徒に先生になって下さい、と言われ勢いでなったようです。
そこで私は「塚越さんは、日本で最初に日本地図を作った、伊能忠敬さんに似てますね。伊能さんも55歳まで実家の仕事をやって、隠居になった時点で好きな事をはじめ大偉業を成し遂げたのですからね」と振ってみた。
すると意外な答え。
「いや私が伊能忠敬さんと違うのは、好きな事でなく何でも良かったのです。私は自己顕示欲が強いので、何か人がやっていないことをやって、地元にこんな人がいたんだ、と名前を残したいですからね」
この地元産のクラフトビールを飲んでみた。
大手ビール会社には出せない深い味に驚きました。これはビール好きにはたまらない味です。
確実に地元に名前を刻む一歩を歩みだされた、そんな手ごたえを感じた1日でした。
塚越さん、有難うございました! 頑張って下さい、応援しています!
コメントをお書きください